ユリイカ4月号『RPGの冒険』

ユリイカ2009年4月号 特集=RPGの冒険

ユリイカ2009年4月号 特集=RPGの冒険

明日発売のユリイカRPG特集に寄稿させていただきました。詳細はこちら。よく考えると私の好きなジャンルはノベルゲーム系で、RPGで一番好きなのは『リンダキューブ』とか桝田省治さんの作る王道とは外れたタイプのものばかりでした。私と金田さんとは、ゲームのプレイがひとりの体験か、みんなで共有する体験かという点で対照的だったのが面白かったんですが、ゲームとはただのコンテンツではなく、プレイヤーの活動やプレイ中に流れる現実の時間まで含みこんだものだという点では同じ考え方なので、ようはゲーム体験という定義の切り分け方の違いだと思います。また、わたしのようにひとりっ子で鍵っ子で一緒にプレイするような友達もおらず、ゲームはむしろ友達と疎遠にするものだった(周りでハード持ってる友達僅少の進学女子校みたいな)、そういう個々人の家庭とか周囲の環境でのプレイ経験がゲームとはなんぞやという考え方を規定するし、そこからしか語りえないのがゲームのいいところです。私は基本的にゲームを読書+αとして個別に楽しみつつみんなが共有するスタンドアロンコンプレックス状に考えていて、金田さんはテレビや映画(+α)的なものと考えているのが大きな違いだなとも思いました(どちらも+αこそがゲームを規定する本質的な部分なわけですが)。あと私はやはり演劇との比較で、プレイ時間の「持続」とそれが与える身体への関係とか、RPGを誰かと一緒にプレイする場合、最初から最後まで一緒にプレイする以外には連続する物語の漸進的な積み重ねができないこととか、ニコ動のようなプレイのエディットがない「いまここ」の共時的あるいは真性同期的なプレイ体験を重視して「ひとりの体験」としてのRPGについて書きました。それには操作することと見ていることのあいだの参加のしかたの質的な違いこそが大事で、そこをもう少し自分の原稿で詰めておければよかったなあと今は思います。かくいう私も、親しい人がゲームをしているのを見るのはすごく好きなのですが、そこにはやっぱりゲーム実況と一緒で、プレイしている人の操作の仕方や進め方をとおして/含めたゲームを見る面白さと不自由さがあるしね。
※訂正(1)176ページ下段一行目「その衝動はどこから来るのかその長く険しい冒険は」は、「その衝動はどこから来るのかその長く険しい冒険は」とあいだに点が抜けています。 (2)183ページ注(5)の書誌情報、The Game Theory ReaderはThe VideoGame Theory Readerの間違いです!ゲーム理論じゃなくてビデオゲーム理論。この本読み応えあって面白いです。
The Video Game Theory Reader

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